コンプレックスについて
今日はコンプレックスのおはなし。
あまり言ったことはないけど
数ある身体の気になる点の、私の最大のコンプレックスはといえば
脚。
自分の中から脚の存在を消すほど
というか見て見ぬふりするほど、鏡に全身を映しても脚は見ないという技を習得するほど、嫌いでした。
でもあまり口に出したことはない。
だって、脚が嫌なんです~だなんて言ったら、悪気がなくたって「そうかな?」なんていいながら私の脚を見るでしょう?
誰からも意識を向けてほしくないから、言いませんでした。
何が嫌だったのか:
ずばり太い
たぶん元の遺伝的な骨格もあるけれど、幼少期から水泳、テニス、ジャズダンスやベリーダンスetcとやってきたうえに、歩くのが大好きで気分さえよければヒールでも数時間歩いてしまう私の脚は、ちょっと男性がびっくりするくらいの筋肉質。
加えて背が低いので縦の要素が足りなくてずんぐりむっくり。
私だって、細い足が美しいとされるこの風潮の中、ミニスカートをはきたい思春期を経て32年間ちょい、脚を細くしたくてそれはそれはいろんなことを試しました。
大学時代のサークルでは脚が太いから「あまり見せないで」って太い人用の衣装をあてがわれたり
大人になっても「細い脚が好きだからダンス辞めて筋肉落としてほしい」などなど言われ悔しい思いをしたことも。
サランラップでぐるぐる巻きにしたり、毎日仰向けで脚を上げてむくみとったり、
ストレッチしたり、内転筋鍛えて外側の筋肉つかわないようにして減らしたり…
考えられること、たくさん、たくさん。
思い出すと泣けてくるな。笑
でも、いわゆる「細い脚」にはなれなかった。
「美脚」に憧れることすらもなくなりました。自分の土俵ではないから。
それでも誰かが「脚」というワードを出すたびに心の中では過剰反応で、自分のことを言われてるわけではないのに胃がえぐられるくらい嫌でした。
今年になって、ダンスの時の足さばきがどうもかっこ悪いのを直したくなって、見えないふりしていた自分の脚に向きあわざるを得なくなりました。もう、鏡に映る自分を見るのが本当に嫌だった。
でも、「敵を知り、己を知る」です。何にせよ、自分の目で見て現状を認識しないと。
その日からレッスン着も足さばきが自分で見えるものにしました。
自分の目に留まるということは他人の目にも留まるということで、
いやだなぁと思うこともありました
ただ、いま私は己との戦いをしています。
他人からの目線に傷ついてしおれているバヤイではないのです。
そんなこんなで試行錯誤している最近。
自分の耳に入ってくる脚へのフィードバックが、
ポジティブなものが多くなってきた、ような気がしています。
細くないので、細いとはいわれないけど、
立派な脚、とか、ハリがある、とか、これまでの経験の詰まった脚、とか。
あんなに耳をふさいでいた脚関連のコメントなのに
自分を認めてもらったようで
とても嬉しい。
いまだに毎日鏡を見ては
「太っ」
って思ってますが、
太さを愛してチャームポイントにできるようにしていきたいな
人の身体的特徴は、
その人のこれまでの歴史が詰まってる美しいものだと
考えられるチャンスをくれた脚を自分で悪く言うのをやめてみようと思う
ポジティブな変換をしてくれた私の周りの人に心からありがとう💛